Welcome Aboard -旅するために旅をする

現在、絶賛無職中の僕が、世界中を旅するブログです。

失敗など何もない(と思いたい)

シェムリでの日々は慌ただしく過ぎて、YAMATOゲストハウスで働くのもあっという間に最終日になった。まさに「光陰矢の如し」である。ちなみに僕が「光陰矢の如し」と聞いて思い出すのは、高校の推薦入試のことだ。テニスとミニ四駆に生活の全てを捧げていた中学生時代、高校の推薦入試で試験官の先生に「光陰矢の如しの意味を答えて下さい」と問われ、意味を知らなかった当時の僕は矢のように速いミニ四駆を思い描き「はなはだしく速くなることです!」と自信満々に答え、矢よりも速いスピードで不合格を受けとる事となった。。以来「光陰矢の如し」は僕の心に深く刻まれることになった




最終日の夜、長年シェムリで暮らしていた早織さんの友人のアズさんが帰国することになり、ついでで申し訳ないけどと言った感じで僕のお別れ会もしてくれることになった。もはや顔馴染みになった人達とYAMATOで飲み、続いて早織さんのお知り合いが経営していると言うゲストハウス兼飲み屋に向かった。そこでケンタさんと出会った。ケンタさんは日本人とアメリカ人のハーフで、年齢は30ぐらい。おしゃれな雑誌から飛び出てきたような服装をしていて、イケメンのお手本みたいな人だった。頭も切れて、英語もペラペラ。もちろんシェムリアップの王子ランキングも堂々の1位だ。僕らが合流した時、ケンタさんは男女7~8人の日本人大学生らしき人達と何やらゲームをして盛り上がっていた。覗いてみると、そのゲームは昔懐かしの四並べだった。


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ただ、普通の四並べではなく垂直四並べだった。基本ルールは、四目並べと同じで、二人で交互にコマを置いていき、縦、横、ななめいずれかで4個のコマが並んだら勝ち。普通の四目並べと唯一違うのは、マス目が垂直に立っているので、マスが下から埋まっていくということだ。
たったこれだけの違いなのだが、やってみると全然違う。
相手の狙いを防ぎつつ、うまく並べることが必要で「これはもらった!」と思っていると、いつの間にか相手のコマが4つ並んでいることもある。

早織さんによるとケンタさんはこのゲストハウスを定宿にしていて、泊まりにくる観光客をカモにゲームをして荒稼ぎしているらしい。

一夜にしてカンボジアの平均月収ぐらい簡単に稼いでしまい、その稼ぎっぷりの悪名高さはシェムリアップに知れ渡っているとか、いないとか。

僕らはケンタさん達と少し離れた席で飲んでいたのだが、ふと気が付くとケンタさんがこちらに手を振っている。その顔には100万リエルの笑顔が輝いていた。僕も礼儀として、10万リエルぐらいの笑顔で手を振り返えした。するとケンタさんに「おめーじゃねーよ!!」と一喝されてしまった。どうも隣の早織さんに手を振っていたらしい。

「気にしないでねー」と早織さんに笑顔で言って貰い、どうにか体勢を立て直すことができた。もはや2リエルぐらいのあいまいな笑顔を作るしかない。

勘違いした僕も悪いけど、あの態度はない。

久しぶりにケンカを売られた気がして、ドキドキした。少々失礼なことを言われたからといって目くじら立てず笑顔でやり過ごすのがスマートな大人の作法だろう。だが、スマートでなければ、大人になりきれていない僕には、作法なんて関係ないのだ。ケンカに乗ることにした。そもそも観光客をカモにする姿勢が気に入らない。義憤に燃えた僕はなんとかケンタさんにギャフンと言わせなければ気がすまなくなってきた。まぁ、実際に口に出して「ギャフン」って言って貰ってもどうすれば良いのか困ってしまうのだが、とにかく一泡吹かせたい。そこで僕はケンタさんに垂直四並べで勝負することを申し出た。

と言うのも勝算が無いわけではないからだ。実はこの垂直四並べは、子どもの頃の我が家における最高の娯楽システムである人生ゲームEXを越えるほど流行したゲームであり、僕も腕前には自信があったのだ。勝負は2回行うことになり、一回目は5ドル、二回目は10ドル賭けることになった。(カンボジアでは普通に米国ドルも流通している)

垂直四並べの基本は先手を打つこと。先手が圧倒的に有利なゲームなのだ。

それを知っていた僕はケンタさんに「先手打たせて貰って良いですか」とお願いをした。勝負は進んでいき最終的に1例残すのみとなった。交互にコマを打ち先にケンタさんのコマが4つ並び勝利した。負けはしたものの予想外の接戦にギャラリー達も興奮気味。「潤さん、すげー」「俺達の敵をとってくれ」と口々にした。何だか僕も負けたみんなの分の戦いを背負っているような気分になってきた。「地球のみんな、オラに力を分けてくれ!」と叫んだ時の悟空の気持ちが完璧に理解できた。勝負事においていかに仲間を増やすかは勝敗を左右するもっとも重要なことの一つと言える。かの石田三成関ヶ原の合戦で「鶴翼の陣」という手法で戦ったのは有名な話である。「鶴翼の陣」は、鶴の左右の羽のように、周囲をとり囲むようにして隈無く陣を張って戦うという戦略だ。要するに味方で敵を包囲しようということだ。周りのムードも流れも完全に僕に来ているような気がしてきた。しかし、そんな時に僕を応援していたはずの大学生の男の子の一人が酔った挙げ句にスマホで四並べについて調べ、「先手、且つ第一手を中央のマスに置くことができれば、相手がどのように打ってきても絶対に勝てるアルゴリズムが開発されているそうです。」とまるでスポ根マンガにおける頭脳派解説役みたいなことをしゃべったお陰で、僕はもう一度「先手で打ちたい」と言えなくなり、結果じゃんけんで先手を取られ、嘘のようにぼろ負けしたのだった。その時、関ヶ原の合戦で、どう見ても陣形では東軍の徳川家康に勝っていた石田三成が、友軍・小早川秀秋の裏切りにより敗れたことを思い出し、歴史は繰り返すと涙を飲むことになった。涙だけだなく、今なら実際に口に出して「ギャフン」と言っても良いぐらいだ。

ケンタさんに敗れ哀れ遁走することになった僕だが、考えてみればこんな風に失敗することも悪いことばかりではない。みんなで楽しい時間を過ごせたし、ケンタさんに対しても、もはや怒りの気持ちも薄れていた。昔から「人の振り見て我が振り直せ」と言うが、まさにその通りで横柄な態度をしたら相手は嫌な気分になり嫌われてしまうと改めて思いしらされた「教えてくれて、ありがとう」という寛容な気持ちも少し産まれた気がする。捉え方によって失敗は有効な道具になる。人生、あえて死なない程度に失敗するのも悪くないのだ。(と思いたい)