シェムリでの日々は慌ただしく過ぎて、YAMATOゲストハウスで働くのもあっという間に最終日になった。まさに「光陰矢の如し」である。ちなみに僕が「光陰矢の如し」と聞いて思い出すのは、高校の推薦入試のことだ。テニスとミニ四駆に生活の全てを捧げていた…
「よし!」と言葉に出し、勢い良くタケオゲストを後にする。勢いでもつけないと宿に戻って、ベッドにごろんと寝ころんでしまいそうだった。YAMATOゲストハウスに歩いて向かう。鼻息荒く出たものの、タケオゲストから3分ほどで着いてしまった。目と鼻の先だっ…
‘沈没’と言う言葉をご存知だろうか?海外においての沈没と言うのは、いわゆる外ごもりのことだ。安くて快適なゲストハウスに引きこもり、大抵は何をするでもなくのんびり過ごすことを言う。シェムリアップはそんな沈没者がたくさんいる街だった。しばらく滞…
カオサンからカンボジアのシェムリアップまで、国境を越える国際バスで行くことにした。ポイペト国境を越えて、ビザを取り、カンボジアへ入国する方法だ。そう言えば、陸路で国境を越えるのは初めての経験であり、僕は意味もなく感動した。島国で生まれ育ち…
香港から離れることに、少しばかりの寂しさを感じながら、僕はバンコク行きの飛行機に乗り込んだ。出発が遅れたこともあって、到着したのは深夜だった。この旅2度目の空港泊である。深夜でも意外と空港は賑わっていた。僕は硬い椅子に座って長時間を過ごすは…
香港のスターフェリーを利用して、マカオに行くことにした。前日、ステフからのメールを待って1日中ゲストハウスにいた僕は、このままでは引きこもりになると思い、鬱々とした気分を吹き飛ばすため、前々から行ってみたかったマカオに行くことを決意したのだ…
サムと脱力系のお別れをした後、僕は蘭桂坊に向かった。ここは前日にヘンリーに教えてもらった場所なのだが、若者がたくさん集まるオシャレな飲み屋街とのことだった。特に金曜日の蘭桂坊はクールでクレイジーだと言う。今日は金曜日だった。旅を始めてから…
ブルース・リーに、目線を相手から外さない彼式のお辞儀をして別れた後、僕はビクトリアピークに向かった。そこは、小高い山の上に展望台とお土産屋、レストランなんかがある複合施設だった。香港の100万ドルの夜景を堪能できるということで是非、来てみたか…
北京から香港へ向かう飛行機の機内。僕は指定された席にたどり着いた。隣の人物を観て、「あ、コバヤシ君」と思わず声に出しそうになる。隣の男性は、僕の地元の友人、推定体重90キロオーバーのコバヤシ君にそっくりだったのだ。最近会ってなかったけど、元…
ショウと別れたその日、僕は恭子さんと再会した。恭子さんは、僕の母と同年代の女性で、とてもパワフルな人だった。僕は個人的に彼女のことをゴッド恭子とかマザー恭子とか呼んでいた。初めて会ったのは僕らが大学2年生のタイ研修の時だった。タイ研修は僕が…
北京でも楽しい出逢いがたくさんあった。まず、ゲストハウスではヤンさんとショウと仲良くなった。ヤンさんは、同年代の女性で香港の学生が北京に留学するのをサポートする仕事をしていたが、現在は転職活動中らしく、僕も失業中だと言ったら仲良くなれた。…
北京に到着した次の日、僕は安定門の街を歩いて回った。美術館や公園、昔の宮殿など歩けば歩くだけ新しい発見があって、ちっとも飽きなかった。昼飯は定食屋さんで餃子とチンゲン菜の炒め物を頼んだ。餃子は中国ではポピュラーな水餃子だった。水餃子を一口…
日本の成田空港から、中国の北京首都国際空港まで、飛行機でおよそ3時間半。海外旅行の最初のハードル的存在である時差もマイナス1時間なのでほとんど感じずに済んだ。しかし、時差なんてどうでも良いぐらい暑い。ひたすら暑い。気温や湿度は日本よりいくら…
僕がまだ学生だったころ。当時の僕は就職活動を終え、最後のモラトリアムとも言える時期にいた。就職してからのことを考え、いそいそと資格の勉強に勤しむなくてことはなく、何をするでもなくぼんやり過ごしていたように思う。そんな日々の中で、たくさんの…